長野県に存在する開湯伝説の数々 温泉王国・長野県には温泉にまつわる言い伝えがたくさんあり、真偽は定かでないが、歴史ある温泉地には多くの開湯伝説も存在する。日本武尊により発見された長野県最古の温泉と言われる別所温泉や、動物が発見したとされれる温泉など、伝説はさまざま。開湯伝説を基準に温泉地選びをするのも楽しいかもしれない。 熊×熊の手洗湯（野沢温泉村） あちらこちらで湧いている豊富な温泉が、生活の中にとけ込んでいる野沢温泉。小さな温泉街のなかに13もの共同浴場がある。そのうち最も古い湯とされているのが「熊の手洗湯」だ。手負いの熊が傷を癒していたのを猟師が発見したといわれ、一説には野沢温泉発祥の湯ともいわれている。「てあらいゆ」というのが省略され、後に「照湯」「寺湯」ともよばれるようになった。湯が熱めの野沢温泉の中では「ぬる湯」として知られ、長湯するにはもってこいの湯で、地元の人たちも多く利用している。大湯や麻釜などのある温泉街の中心部からは少し離れているが、熱い湯が苦手な人にはおすすめだ。また、向かいにある中島屋旅館では、「熊」にちなんで、熊肉料理なども提供している。 佐久間象山×熊の湯（山ノ内町） 吉田松陰や坂本龍馬といった、のちの日本を担う人物を門弟として多数抱え、幕末の動乱期に多大な影響を与えた松代藩士・佐久間象山。若年期に経学や数学、長じてからは西洋兵学の素養を身につけたことにより、科学者としての才能も開花。大砲を鋳造したり、日本初の指示電信機による電信を行ったり、ガラスの製造や地震予知器の開発にも成功している。そんな象山が、弘化元（1884）年、沓野・佐野・湯田中の「三村利用掛」の役職に就くと、科学的な見地から志賀高原開発の必要性を説く。実地調査を行い、鉱山資源などを発見するが、その際、硫黄泉に手負い熊が湯に浸かっているのを見つける。これが由来となり、温泉には「熊の湯」という名がついた。 鹿×鹿教湯温泉（上田市） 美ヶ原高原の東麓、内村川沿いにある鹿教湯温泉は、古くから湯治場として知られる温泉地だ。地名のいわれは、「鹿」が「教」えてくれたことによる。昔、猟師が鹿を射るが、途中で姿を見失ってしまう。翌日、猟師が再び山に入ると、昨日の鹿が水たまりに浸かっているのを発見。また矢をつがえて射ようとするが、昨日の傷は癒えており、鹿は逃げ去ってしまう。不思議に思った猟師がその水たまりを調べてみると温泉だったというのだ。この鹿は文殊菩薩の化身であり、日頃信心深い猟師に温泉の存在を教えたのだという。江戸時代には湯治場として栄え、国民保養温泉地にも指定。現在、鹿教湯温泉には文殊菩薩を祀った文殊堂があり、健康回復を祈る人々の願いを叶えている。 日本武尊×別所温泉（上田市） 道後温泉（愛媛県）や玉造温泉（島根県）など、日本には神代から大和王朝の頃を起源とする温泉がいくつかあるが、上田市の別所温泉も長い歴史をもつ名湯のひとつ。伝説では景行天皇（71～130年）の時代、東征途中の日本武尊が発見し、遠征中の兵士を癒したことから「七苦離の湯」と呼んだとされる。清少納言が『枕草子』の中で「湯は七久里……」と挙げた名泉が別所温泉という説もある。時代を下れば、木曽義仲や上田城主の真田氏とその家臣ら、それぞれの時代を築いた名将たちが隠し湯として訪れたとも。真田氏が入湯していたことは実際の記録にあり、作家の池波正太郎は著書『真田太平記』の中で、真田幸村が別所の石湯にたびたび訪れていたというエピソードを挿入している。 縄文人×三の丸温泉（諏訪市） 北信濃からはるか木曽路、伊那谷まで、信州には実に200以上の温泉が存在する。優れた効能や美しい景観は、古来から地元の人間はもとより多くの旅人を癒し続けてきた。諏訪市や茅野市では、縄文時代の人々が温泉を利用していた痕跡が見つかっている。諏訪市出身の考古学者、故・藤森栄一氏はその著書の中で、「諏訪市三の丸温泉から出土した土器片に、湯にさらされた跡がある」と言い、諏訪湖東岸の曽根での発掘調査では岩石に湯アカがついていたことに触れ、〝縄文人が温泉に入っていた〟と類推している。厳しい自然環境の中で暮らしていた縄文の人々も、豊かないで湯を得て、湯あみをして心身をリフレッシュしていたようだ。信州の温泉の歴史は、はかり知れないほど古いのだ。 天武天皇×筑摩の湯（松本市） 『日本書紀』にその名が記された束間温泉は、現在の松本市の美ヶ原温泉または浅間温泉であるといわれる。天武天皇の時代、都まで知られた「束間温湯」に行幸しようと使者を派遣し、信濃国の地形図を献上させたとも記されている。これまでは美ヶ原温泉郷にある山辺温泉という説が有力だったが、浅間温泉の古墳から金銅製の天冠などが出土したのを受け、浅間温泉説も主張されている。いずれにせよ時の天皇が、その地に仮宮を造らせるほどの名湯であったようだ。古代の街道・東山道を通って都と往来する人々も、山あいの湯で疲れを癒したのかもしれない。束間は後世、「筑摩」と字を変え、県歌「信濃の国」でも「くる人多き筑摩の湯」と歌われることになる。