馬籠宿をこよなく愛した明治の文豪 中山道は江戸時代、徳川家康が整備した五街道のひとつ。江戸板橋を起点に近江草津で東海道に合流するまで六十九次の宿場が置かれ、木曽路には江戸から数えて33番目の「贄川」から43番目の「馬籠」まで十一宿が設けられていた。距離にして約１００㎞の峠越えが続き、中山道随一の難所といわれていた。木曽路の最南端の宿場町の馬籠宿は明治の文豪、島崎藤村の生まれ故郷であり、「木曽路はすべて山の中である」で始まる代表作『夜明け前』の舞台でもある。 藤村の面影が色濃く残る馬籠宿だが、藤村こと島崎春樹が宿場に暮らしたのは幼少の９歳までであった。明治５（１８７２）年の２月17日、馬籠宿で代々続く、本陣、庄屋、問屋の旧家、島崎家の四男として生まれた。９歳で上京し、東京銀座の泰明小学校に通い、三田英学校（錦城中学校）から神田共立学校（開成中学校）を経て、明治学院普通科を卒業。明治25（１８９２）年には明治女学校の英語教師を皮切りに仙台の東北学院、信州の小諸義塾へ赴任。再び東京に戻り、自費出版で『破戒』を発表、朝日新聞へ『春』、読売新聞へ『家』を連載。妻の冬子を失い、姪のこま子との許されざる恋愛関係に悩み、やがてフランスへ旅立つ。帰国後、東京飯倉で執筆活動に専念し、『嵐』『分配』、さらに晩年には明治維新の混乱を受けながらも木曽路の馬籠宿で波乱の人生を送った父の島崎正樹をモデルにした大作『夜明け前』を書き上げている。 藤村はわずか９歳で上京してしまうが、代表作『夜明け前』や童話『ふるさと』、処女詩集『若菜集』などの作品にみられる浪漫主義詩人、自然主義文学の旗手としての根幹、心の原風景はすべて「馬籠にあった」といっても過言ではない。そんな馬籠宿のそこかしこに藤村はたくましく息づいている。宿場の中程、藤村の生家があった跡地には藤村記念館が建ち、『夜明け前』の原稿など貴重な資料が展示され、四季折々に藤村文学ゆかりの草花が咲く。『若菜集』のなかにつづられている初恋のモデルは記念館の隣「大黒屋の娘ゆふ」といわれる。藤村の馬籠宿への積年の想いを受け継ぐかのように長男の楠雄は馬籠へ帰農という形で住むようになり、現在は「四方木屋」にその面影を残している。とかく文壇では気難しい性格といわれた藤村だが、馬籠宿では「我が故郷をこよなく愛していた文豪」として親しまれ、慕われている。 文豪は馬籠宿の裏手に立つ島崎家の菩提寺・永昌寺に静かに眠る。峠を挟んだ妻籠宿の本陣は藤村の母の生家で次兄・広助が養子に迎えられたところ。脇本陣奥谷は初恋のゆふの嫁ぎ先でもあり、藤村とのつながりも深い。その妻籠宿の喧騒から離れた小高い丘の光徳寺に、姪のこま子の墓もひっそりたたずんでいる。 島崎藤村プロフィール 『若菜集』『夜明け前』『破戒』など、数々の名作を生んだ自然主義文学の代表作家・島崎藤村。本名・島崎春樹。明治5（1872）年に馬籠宿の旧家に生まれた。9歳には上京したが、故郷を愛した作家で、作品のなかにも馬籠を中心に、その風景は登場する。フランスにも渡り、影響を受ける。信州・小諸では講師として教壇に立ったこともある。 足跡スポット_藤村記念館（馬籠） 藤村の生家は馬籠宿で代々続く、庄屋、問屋の旧家として馬籠本陣の役目も担っていた。明治の大火で焼失してしまった生家跡に昭和22（1947）年、記念堂が建てられ、後に藤村記念館としてオープン。馬籠に暮らした長男の楠雄氏による寄贈品を中心に約6,000点の資料を所蔵。藤村の作品に登場する草花も記念館の周囲に植えられている。 足跡スポット_永昌寺 万福庵（馬籠） 人通りのある馬籠宿の裏手、通り一本隔てた小高い丘に立つ永昌寺。万福寺として『夜明け前』にも登場した。藤村の生家である島崎家の菩提寺であり、藤村と妻・冬子、夭折した3人の子どもたちが眠る。宿場の喧噪から一変し、静かなたたずまいに心和む。藤村文学ファンがひっそりお参りをする姿が目に留まる。敷地内では予約で食事もできる。 足跡スポット_南木曽町博物館（妻籠） 復元した妻籠宿本陣と明治の脇本陣奥谷を利用した脇本陣資料館、歴史資料館の3つの建物で構成されている。本陣は藤村の母の生家で次兄・広助が養子となっている。脇本陣奥谷は国重要文化財であり、初恋のゆふさんの嫁ぎ先でもある。3館共通の入場券がある。 足跡スポット_懐古園・藤村記念館（小諸） 「小諸なる古城のほとり雲白く…」で知られる『千曲川旅情の歌』の舞台である小諸。古城として謳われた懐古園の千曲川を望む場所には藤村の詩碑が建てられているほか、藤村が小諸にいた時代の作品や資料、遺品が展示されている藤村記念館も。小山敬三美術館、郷土博物館、徴古館の4館共通券なので、小諸の歴史散策とあわせて訪れたい。