武家屋敷や名家を訪ねる 信濃国の主要大名は、今も歴史をそれぞれが興した地に刻み、その誇りを私たちに伝えてくれる。往時の建物の片鱗から凜とした佇まいと、質実剛健の中に華やかさを感じることができる。武家屋敷だけでなく、江戸時代の商家の建物も県内にはたくさん現存していて、その時代の歴史が鮮やかに甦る。 真田邸（松代城跡附新御殿跡） 主屋と表門、7棟の土蔵、庭園などが残る全国でも珍しい御殿建築の遺構として、昭和56（1981）年に国の史跡に指定されている真田邸。平成16（2004）年度から23年度（2012）まで保存・修復工事が行なわれ、再び江戸時代の大名家の生活の一端を目にすることができるようになった。 真田邸は、元治元（1864）年に松代藩9代藩主であった真田幸教によって建てられた。当初は参勤交代の制が緩められ、江戸から松代に戻る幸教の義母の貞松院のために新しく御殿を建て「新御殿」と称するよう口達があった。しかし1年も経たず参勤交代制度は復され、貞松院は再び江戸住まいを命じられた。新御殿はその後隠居した幸教の住居となった。明治維新後は真田家の私邸として使われ、昭和41（1966）年に真田家の伝来の宝物とともに、長野市に譲渡され今日に至る。襖の唐紙は御殿が建てられた頃の意匠に復元されている。菱形、松など部屋の格式によって使い分けられていた。武家屋敷の質素な造りの中にも、幸教らの居住空間へのこだわりや、洗練された趣味の良さを垣間見ることができる。幸教が愛でたであろう庭園は、後ろのノロシ山（狼煙山）などを借景に取り込み居間からながめる「座観式」となっており、往時の様子を再現している。 旧小笠原家書院 江戸時代初期の武家住宅は、京都の重要文化財・二条城と、ここ旧小笠原家書院のみ。かつて、全国に5000家余りの旗本があったが、「屋敷」が残されてるのは、旧小笠原家書院だけと言われている。昭和27（1952）年に、国の重要文化財に指定される。 小笠原氏は甲斐源氏の分流と言われていて、朝廷や武家の儀礼・礼法などの典型的な方式とそれを研究する学問を伝える名門。長野県史跡でもある飯田市の松尾城（跡）は、その一族・松尾小笠原氏の居城だった。関ヶ原の戦いで功績を認められ、徳川家康から伊那郡に褒美として領地を与えられたため、最後の松尾城主である小笠原信嶺の弟、長巨が寛永年間（1624～1643）に屋敷を建て、以後明治まで子孫が代々居住した。 往時は、城門・物見櫓、広間、御料理処、御厩屋、御土蔵といった建物があったが、明治5（1872）年にその多くが取り壊され、書院のみが残る。間口3.75m、奥行3.44mの向唐破風造。サワラ・ヒノキ材を使ったこけら葺で、虹形に上に反った梁「虹梁」が美しい。書院の南側は京都の清水寺の舞台などで知られる懸造。建物内部は、年輪の間隔が1～2㎜の糸のように細いとよばれる最高級の建築部材が使われている。柱、床の間、壁など細部に渡り凛とした空気が漂っている。 山下家住宅 木曽馬の産地として知られる開田高原に、馬の医者であり大馬主でもあった山下家の住居は立つ。切妻屋根の妻側に玄関と出窓格子を設け、さらに屋根の破風板の上には雀踊りが乗る。これは松本盆地から伊那谷にかけて多くみられる「本棟造り」と呼ばれる民家の建築様式で、その家の財の大きさを現すなどともいわれるが、開田高原で見られるのはめずらしい。建物内部もナラを主材に節のない材を用い、2階部分の外装も土壁ではなくすべて木造と、山村にはめずらしい贅を尽くした造りが目を引く。 建物向かって左手は、木曽馬を育てた厩として使われていた。最盛期で年間300余頭の親馬を持ち、さらに年間100頭の仔馬を売っていたが、当時、普通の農民は仔馬1頭の半分の値段で1年を暮らせたというから、そうして築いてきた富の大きさがうかがい知れる。 一時期、木曽馬が絶滅の危機に瀕し、山下家は時代の波のなかで現在では家は絶えてしまったという。屋根こそ板葺から鉄板葺に変えたものの、江戸末期の図面をもとに間取りや建築様式をほぼそのままに復元した。一族が絶えたあとも残る山下家は、今も江戸の時代に開田高原で築かれた富と、木曽馬の歴史とを物語る貴重な建物だ。平成28（2016）年に木曽地域の日本遺産に登録されている。 伊那部宿 旧井澤家住宅 伊那部宿は、中山道、東海道、甲州街道より伊那谷に物と文化とをもたらした伊那街道の中間地点にあった、中山道と甲州街道を結ぶ要衝の宿。江戸時代後期の天保11（1840）年と14（1843）年の2回、宿場全戸全焼という大火事に遭うが、最南端にあったため、ただ1軒だけ類焼をまぬがれた宿場最古の建物。平成11（1999）年に伊那市有形文化財に指定され、天竜川西側段丘の上部に立つ。井澤家は高遠藩内でも屈指の豪農として知られ代々造り酒屋を営んでいた。居は宿場内で唯一の大屋根・本棟造の破風屋の建物としても有名であった。伊那市ではこの由緒ある豪農の建物を広く文化の向上をはかり、地域の方々の生涯学習の場に役立てようと、平成16（2004）年9月に解体復元工事に着手、翌年の3月に完成している。住宅内には井澤家が大正期まで続けていた酒造に関する古文書をはじめ、高遠藩発行の酒造鑑札、酒造道具、宿札、古民具などを展示、館内は和室を使用できるようにしており、上を見上げると当時のまま豪快な梁が力強く走り、背の高い太い鴨居をホゾ差しで組み込んである差鴨居も見ることができる。また柱は、古材の上質な墨色が今も美しく光り、かつての豪農たる所以がありとあらゆるところに見受けられる。 須坂市旧小田切家住宅 須坂市の中心部、大笹街道と谷街道が交差する場所に立つ旧小田切家住宅。幕末まで小田切家は、麹・酒造・油・蚕糸・呉服商などを営む豪商で、西糀屋とよばれていた。小田切家をはじめとする江戸期須坂の豪商の建物は、明治3（1870）年の農民が税法改正を要求した「須坂騒動」で打ち壊されてしまったといわれる。その中で、現存する一連の建物群の大半は、信州の蚕種大総代でもあり須坂製糸業の発展に大きく貢献した小田切辰之助（江戸時代後期天保10（1839）年〜明治37（1904）年）が、明治時代に再建したもの。 現在の敷地には、主屋・長屋門・店・土蔵等が残っており、製糸業が盛んだった往時を偲ばせている。小田切家は、昭和の終わり頃からは空き家となり荒れていく。そこで須坂市が土地を取得し、創建期に近い形にと、復元修理工事を進め、平成28（2016）年7月に開館し、平成30（2018）年には県宝に指定されている。 主屋の妻壁には縁起が良いとされる小槌と俵ネズミが鏝絵で描かれており、千鳥破風、懸魚などの妻飾りが美しい。入口からお勝手、その奥に座敷そして風雅な奥座敷という造りは、武家の住宅を思わせる。このほか、道路に面しているかつての店は受付や絹製品等を扱う売店として活用。また須坂における器械製糸の発祥地といわれる水車小屋も復元されている。館内のゆっくりと時間を過ごせるカフェ「CAFE KOH」は、復元完了とともに新たに登場したものである。